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第48回

萩の杜における実践 ~ニィリエのノーマライゼーションの原理に学ぶ~

 

1.支援のモットー「臭いのしない、綺麗な施設」を目指す意味


 前回の「一言」で、2013年度から始まる私ども法人の第3次5ヵ年事業計画のテーマは「質の磨き上げ」であることのお話をしました。
 私は、「質の磨き上げ」の中心はノーマライゼーション理念を基本とした「QOL(生活の質)の向上」であると考えています。
 私どもの法人の理念「地域に生きる」を支えている基本理念はノーマライゼーションであり、私たちはその実現を生活施設「萩の杜」開設以来、実践の中で追求し続けています。
 生活施設「萩の杜」開設に当たって、私たちが最も大切にしてきたことは、「臭いのしない綺麗な施設」という支援におけるモットーとその実践でした。
 ノーマライゼーション理念を世界に広げたノーマライゼーションの「育ての父」であるベンクト・ニィリエは、「QOLの向上は障害のある人たちの人権擁護の推進に繋がる」と語っていたということですが、私たちが目指した「臭いのしない綺麗な施設」は、利用者の人権を基本においた一つの実践であると思っています。
 安らぎのある暮らしを支える上で、掃除の行き届いた住環境は大変重要です。
 そうした基本的な支援が出来なくて、利用者の人権を守ることはできないと考えるからです。

 

2.利用者と職員との立場の違い(ギャップ)を埋める


 しかし、こんなに基本的なことがなかなか実現できない生活施設の現状があります。
 利用者支援が十分に出来ないことの原因として、よく聞くことの一つが「職員の不足」
が上げられます。
 確かにそれは事実です。でもそれだけでしょうか?私はもっと根本的な原因があると思
っています。
 それは、職員と利用者の立場の違いにあるのではないかと思っています。
 利用者にとって施設は「暮らしの場」であるのですが、職員にとっては「働く場」であるという立場の違いです。
 この立場の違いという大きなギャップを埋めていくには、私たち職員が少しでも生活の主体者である利用者の思いを感じ取りながら支援を行うことが重要であると思っています。
 具体的には、職員にとって、仕事が終わっても少し施設で「くつろいでから帰りたい」と思える施設であること、自分自身が暮らしたいと思うことの出来る施設であること、そのような施設の環境を創造するという暮らしの主体者としての感覚を職員が日常的にもてるかどうかが重要なポイントであると思っています。
 ですから、私はこのような思いをもって、大変シンプルな利用者支援の目標として、この「臭いのしない綺麗な施設」を掲げ、職員とともにその実現と継続に取り組んできたように思います。

 

3.「臭いのしない、綺麗な施設」~私の原体験を振り返る~


 最近、私の「臭いのしない綺麗な施設」を大切に思う原体験は何だろうと考えてみて、気付いたことがあります。
 それは、大学生の夏に泊り込んでボランティアをしていた知的障害のある子どもの生活施設「落穂寮」(滋賀県)にあるようです。
 滋賀県の施設の一つの伝統であるのかも分かりませんが、「落穂寮」では起床後子どもたちと職員が一列に廊下に並んで雑巾掛けをします。
 「イチ、ニイ、イチ、ニイ」と全員で声をあわせて四つん這いになって廊下を磨くわけです。
 私は雑巾掛けの風景を思い起こして、この毎日繰り返される日常的な取組を感動的に受け止めていたことに初めて気付きました。
 それは、子どもたちと共に四つん這いになって雑巾掛けをする職員の姿勢の中に、子どもたちと共に暮らす生活者としての姿勢を感じ取っていたからだと思います。
 私が先程お話しをした「利用者と職員の立場の違い」を乗り越える手がかりがこの雑巾掛けにあるように思ったからです。
 当時の施設では、一応職員はローテーションで勤務体制は組まれていましたが、非番の職員も共に働いている(暮らしている)という一種の共同体的な状況でしたから、私が指摘したような利用者と職員との立場のギャップは、今ほど明確ではなかったのだと思います。
 今になって考えると、当時の職員の働きの中に「近江学園」開設時の糸賀先生たちが提唱した三つのモットーである「四六時中勤務」「耐乏の生活」「不断の研究」が生きていたのだと思っています。

 

4.私たちの取組とニィリエのノーマライゼーションの原理


 話を戻しますが、この「臭いのしない綺麗な施設」という支援を大切にしたいとの思いは、普通の暮らしを提供するという「QOL(生活の質)の向上」を目指す職員総体としてのモットーであったのだと思います。
 また、施設を生活拠点として利用者の地域での暮らしを支えていく職員自身が生活者という視点から利用者と「共に生きる」実践をするという意味が込められていたのだと思います。
 そのような「萩の杜」開設時の職員総体としての思いを考えたとき、この「臭いのしない綺麗な施設」というモットーを一つの文化として継承していくことが私たちにとっての責任であると同時に、「質の磨き上げ」を進めていく上での原点となるのだと思います。
私たちはこの「臭いのしない綺麗な施設」をモットーとして、開設時に大切にしていた様々な支援の視点に基づいた実践を積み重ねてきました。
 ニィリエはノーマライゼーションの原理として次の八つの原理を挙げていますが、「萩の杜」における実践を振り返ると、この原点に通じる実践を行ってきたことに気付きました。
(ニィリエが提唱したノーマライゼーションの原理)
1.ノーマルな一日のリズム
2.ノーマルな一週間のリズム
3.ノーマルな一年間のリズム
4.ノーマルなライフサイクル
5.ノーマルな自己決定の権利
6.男女が共に住む世界での生活
7.生活している国にふさわしいノーマルな経済的パターン
8.生活している社会におけるノーマルな環境面での要求
(1)ノーマルな一日のリズム
 「一日のノーマルなリズムの提供」については、「住まいの場」(施設)と「働く場」の分離(職住分離)という基本的な支援の視点に基づいて、毎日、暮らしの場から働く場へ通うというノーマルな暮らしの実現を目指しました。
 また、食事の時間も職員の都合で朝食時間を遅くする、夕食時間を早くすることなく、
一般の市民の人たちと同じノーマルな時間での提供をしてきました。
 利用者のニーズを基本として作った日課についても、職員の勤務の都合で変更しないこ
とを徹底しました。
 当然のこととして、毎日入浴できるサービスを提供しました。
 この入浴について一つの素敵なエピソードがあります。
 「萩の杜」が開設して2~3年ごろだったと思います。私が知的障害者福祉協会の近畿地区の役員会に出席するため和歌山市まで出かけた帰り、天王寺に向かう電車に乗っているときのことでした。
 職員から携帯電話に電話があり、「入浴の準備をしようと思っていたのですが、男子浴室のボイラーが故障してお湯が出ないんです」との連絡です。
 私は心の中で、「利用者の方たちには申し訳ないけれど、故障だと入浴できないのは仕方がない」と思いました。
 しかしその瞬間、「美人の湯(施設近くの日帰り温泉)に入浴に行きます。何とかやりくりして職員の体制を組みますから、よろしいですか?」と職員が私に判断を求めました。
 私ども法人職員の自慢話をするときに、この話を何度もしたことがありますが、「本当にありがたいこと」だと、このような素晴らしい職員に恵まれていることに感謝しました。
 これが「萩の杜」における利用者支援の真髄であり、文化だと改めて思います。
 また、日々の暮らしの中で、他者、家族や社会から期待される役割があることは、人として生きる上で重要であり、人としての尊厳でもあると考えています。  
 私たちは、一日の暮らしの中で、利用者一人ひとりが役割を持って暮らすことも大切にしてきました。
 例えば、食事の準備のときに、配膳車を押すこと、食器を並べること、お茶を入れること、どんな小さな役割であっても、あなたの役割として他者から期待されている役割を果たすことは、人間の尊厳にとって大変重要なことです。
(2)ノーマルな一週間のリズム
 「ノーマルな一週間のリズム」については、法人の運営基本方針の一つである「利用者に対する支援を地域社会との繋がりの中で行う・・・」に基づいて、週末は家族と共に暮らす支援を大切にしてきました。
 また休日の小さなグループ単位での外出、食事、買い物などの余暇支援も大切にしてきました。
(3)ノーマルなライフスタイル
 「ノーマルなライフスタイル」では、それぞれの利用者の年齢にふさわしい暮らし方を大切にしてきました。
 例えばその年齢にふさわしい衣服を着ることやお洒落をすること、私物のある生活環境の追求もその一つです。
 職員も当然のこととして統一されたユニホームを着るのではなく、生活者として自分の好みの衣服を着る、お洒落をすることを大切にしました。
 自分たちで料理を作るなど、自立的な活動も大切にしてきました。
 特に大人として、人間としての尊厳と自尊心を大切にする上で、利用者に対する職員・支援者からの指示・命令・強制・支配を排して、利用者が出来る限り自立的に活動する、暮らすことの出来る支援、すなわち利用者を取り巻く様々な環境の意味を一人ひとりの理解のレベルに合わせて、分かりやすく情報を提供する支援を大切にしてきました。
 具体的には、それぞれの利用者の理解度やコミュニケーションのレベルや強み・長所・好みなど肯定的な面を活かしての視覚的なスケジュールの提示や、コミュニケーションカードの活用、さまざまな活動についての手順書の提示などの支援です。
 他の福祉施設の職員の方が私ども法人施設の見学や実習に来られたときの感想として、「職員の方の大きな声を聞くことはないですね」という言葉を多く聞きます。
 私たちが大切にしている利用者の方が少しでも自立的に働き・暮らすことが少しずつ支援の中に浸透して言っている結果だと、この感想を頂いたときはうれしく感じています。
(4)ノーマルな自己決定の権利
 「ノーマルな自己決定の権利」については、一日の過ごしの時間での利用者それぞれの過ごし方を大切にしてきました。
 またベッドで寝るのか布団で寝るのか、どのような硬さの枕にするのか、布団の素材や重さなど、それぞれの利用者の好みに合わせた寝具を選択できる支援も行ってきました。 ティータイムでのお菓子の選択や朝食時に何種類かのジャムを選ぶなど、生活の具体的な場面で選ぶ・決定する支援を開設当初から進めてきましたが、この自己選択・決定支援の取組については、私たち支援者がもっともっと創意と工夫を行い、想像力をフル回転しながら取組を進めなければならないと思っています。
 私はこの自己選択・自己決定について、「障害が重いから出来ない」という障害の問題に転嫁することなく、環境の問題として捉え返すことが重要であると思っています。
 例えば、ティータイムのとき、利用者の方にジュースを提供する場合、たとえ水であっても選択できる環境を作ることが重要です。
 また衣服の選択が出来るように、職員が二つの衣類のコーディネイトをして、ハンガーに吊るした服を毎朝利用者の方に選んで頂く環境を作る工夫も出来ます。
 外出先の選択をするときに、「行きたくない」という選択肢を入れることは大変重要な視点であるとも思っています。
 多くの様々な経験をしていれば、選択の幅が広がります。
 「ノーマルなライフスタイル」の原理に基づき、同年齢の人と同じことを体験する機会の提供が、この「ノーマルな自己決定の権利」の実現に大きく関わっていると思っています。
(5)生活している国にふさわしいノーマルな経済的パターン
 「知的障害者ができるだけノーマルに近い生活を送るために必要なのは、ノーマルな経済水準を得ることである」とニィリエは述べています。
 重い障害のある人たちもケアホームを利用して地域社会の中で暮らすことが可能となってきましたが、現在の障害基礎年金額ではノーマルな暮らしの実現には程遠いのが現実です。
 障害のある方に対する所得保障は大きな課題としてあります。
 また利用者のニーズに基づく様々な働くカタチの支援を通して、工賃を得る取組も重要になります。
 知的障害の重い人たちも含めて、粘土の掘り出しから陶器の製品の出荷まで、利用者全員がそれぞれの特性に合わせて陶器作りの作業に関わる信楽学園における池田太郎先生の「工場方式」の実践は有名ですが、私は、「障害が重いから働けない」と、働けないことを障害の問題とすることは間違った考え方だと思っています。
 現在、私ども法人では「授産力強化」を目標に掲げ、「よどのコロッケ」やお菓子の「ガレット」の製造・販売を通して、利用者に支払う工賃倍増の取組をしていますが、それぞれの利用者の特性に合わせた仕事の創造は一つの重要な支援としてあります。
 仕事が出来ないことを障害の問題にすり替えたり、工賃の低さを社会の問題にしないで、それぞれの利用者の特性に合わせた仕事を創造することが支援の基本的な視点であり、私たち職員の役割と責任であると思っています。
(6)生活している社会におけるノーマルな環境面での要求
 「施設の規模は一般社会でノーマルとされる人間的なものでなければならない」とニィリエは言っています。
 「萩の杜」開設の当初の基本計画では、10人単位の独立した小舎と全室一人部屋の暮らしの創造でした。
 しかし、大阪府との施設整備の事前協議で、当時の大阪府の担当者の見解は、「入所施設の利用を希望される利用者は障害の重い人たちなので、職員の体制と安全面を考慮すると小舎制(ユニット)や全室個室は認められない」と言う事でした。
 「障害の重い人たちばかりですよ。それぞれのユニットで食事をするのですか」と言う担当者の言葉は、私の記憶の中に今でも強く残っています。
 私は、「障害が重いから駄目ではなくって、普通に暮らす環境が重要なんです。利用者みんなで食事の準備をするそういう環境が大切なんです。準備の手伝いが出来なくても、その準備の風景があることが重要なんです」と担当者に訴えましたが、結局、施設整備認可基準上、大きな食堂を作らなければならなくなりました。
 現在の「萩の杜」には4つのユニット毎にリビング・ダイニング・キッチンがありますが、施設整備の申請上は、作業室の名目になっています。
 私は「萩の杜」開設以前、京都府京北町(現京都市右京区)にある知的障害を伴う自閉症の人たちの入所施設「京北やまぐにの郷」施設長をしていましたが、強度行動障害を伴う利用者支援の一つとして、暮らしの場のユニット化による環境改善の取組の中で、行動改善が進んだという経験をしていました。
 普通の暮らしが如何に障害のある人たちにとって重要であるかを私自身実感していましたので、全室個室化と小ユニットの暮らしの支援はなんとしても実現したい強い思いで大阪府担当者との協議を行いましたが、最終的には施設認可の条件として、「個室は10室、二人部屋20室」ということで、私たちの当初の思いは実現できませんでした。
 私自身の経験から、暮らしの単位は6人までだと思っていますが、人件費という運営上のハードルを乗り越えることの困難さから、結局は4ユニット(1ユニット12~13名)の暮らしとなりました。
 しかし、この二人部屋という利用者にとって暮らし辛い住環境が、特に行動障害を伴う利用者の行動改善にとって大きな課題として現在も抱えています。
 「質の磨き上げ」という目標に対して、この住環境の改善は今後の大きな課題として、その解決に向けた取組を検討しなければならないと思っています。

 

5.最後に


 来年度から始まる第3次5ヵ年事業計画のテーマである「質の磨き上げ」についての検討を始めるにあたって、「質とは何か」という視点を明確にし、共通する認識の中で議論を進める必要性を感じています。
 私は、このニィリエが提示したノーマライゼーションの八つの原理を基本に置きながら
検討を進めることを全職員に提案したいと思っています。
 「一人ひとりの利用者の暮らしの質(QOL)の向上」という利用者を中心に据えた議論を通して、「支援の質」「職員の質」「運営の質」「環境の質」「地域連携の質」などの実践課題を明らかにしていきたいと思っています。
 私は日本人の食文化の一つとして「自分の食器(お茶碗、箸、湯のみなど)があること」だと思っています。
 利用者にとって、こんな極めて普通の暮らしを実現することからもう一度私たちの支援を見つめ直すことが重要であると思っています。
 地に足の着いた私たち職員全員の真摯な議論を積み重ねて、今年度末には皆様に私たち法人としての今後の支援のあり方である「第3次5ヵ年事業計画」を提案いたしたいと思います。

 

(参考文献)
「ノーマライゼーションの原理~普遍化と社会変革を求めて」ベンクト・ニイリエ著
「再考・ノーマライゼーションの原理~その広がりと現代的意義」ベンクト・ニィリエ著
「はじめて働くあなたへ~よき支援者を目指して」日本知的障害者福祉協会編
「みんなちがってみな同じ~社会福祉の礎を築いた人たち」滋賀県社会福祉協議会編

掲載日:2011年05月26日