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第66回

支援者に求められる想像力と感性

1.支援者に求められる感性

 対人援助の基本は、「自己理解と他者理解である」というお話は、「松上利男の一言」の中で、視点を変えながらお話してきました。
 「自己理解」は、「自分自身がどのような人間なのか?」すなわち、「どのような環境の中で、どのような育ちをしてきたのか、その中で作られてきた自分自身の価値観は、どのようなものなのか?そして、他者との関係の中で、他者に対してどのような影響を与えているのか?」などについて、他者との関係、特に対人援助関係の中で、自分自身についての気付きを得ることだと思っています。
 言うまでもなく、対人援助は、自分自身の身体を通して(使って)、他者を援助することですから、その援助過程の中で、自分自身の価値観や感情が直接他者に影響を与えることから、より良い援助関係を築くうえで、自己理解が重要になります。
 ですから、日々の利用者との対人援助場面の中で、「何故あの時、イライラしたのだろうか?」などの振り返り、例えば、自分自身の身体反応(息遣いや声のトーン、視線、身振りなど)や言動についての気付きを深めることが大切となります。
 同時に、自分自身を知ることは、自分自身が今まで知らなかった新しい自分自身を知ること、新しい自分自身との遭遇のチャンスでもあります。
また、そのことを通して、対人援助専門職としての育ちとなります。
 「自分自身を深く知る」トレーニングとして、「自己覚知」「エンカウンター」などのトレーニングがありますが、私も障がいのある人たちに対する直接支援をしているときには、積極的にこの種のトレーニングに参加していました。
 あるとき、トレーナーから、「松上さんは、価値の枠組みが強すぎる」と指摘されたことがあります。
 私自身を振り返ってみると、例えば私は、「嘘をつくことは良くないことである」という価値観を強く持っていました。
 そうすると、利用者が嘘をついたとき、「許せない」との感情が湧きあがってきます。
 その結果、嘘をつくという行為だけではなく、利用者そのものを受け入れられなくなってしまいます。
 すでに皆さんもご存じのように、対人援助専門職としては、利用者の嘘をつくという行為も含めて、利用者を受容(理解)することが援助の基本となります。
 しかし、価値の枠組みが強いと、利用者との間に良好な援助関係が築きにくくなります。
 この気付きを深めるために必要となるのが「感性」であると思っています。
 ですから、この感性を磨き続けるには、「自己覚知」や「エンカウンター」などのトレーニングが有効ですが、日常的に、利用者や支援者との対人関係の中で、「気づいたこと、感じたこと」を互いに伝え合うことが大切です。
 そのような良好な関係を通して、自己理解が深まり、そのことをして支援者としての成長とチームとしての成長につながることになります。
 また、そのような対等な関係が作られ、維持できる環境づくりが、福祉事業所に求められている最も大切なことだと思っています。

2.支援者に求められる想像力

 「自己理解」を深める上で、「気付き」⇒「感性」を磨き上げることの大切さについてお話ししましたが、「他者理解」を深める上で、「想像力」を磨き上げることも同時に重要だと思っています。
 障害者虐待防止法の施行以降、障害者虐待防止に関するセミナーや研修会の講師を依頼される機会が増えていますが、それらのセミナーや研修会を通して、「虐待防止に求められる支援者としての基本は、自分自身に対する気付きを深める感性と他者(利用者)を理解する想像力である」ということを学ぶことがあります。
 その一例についてお話ししたいと思います。
 グループワークで、利用者に対する支援者の不適切な対応について、具体的な事例を挙げて、話し合うことをたびたびします。
 そのグループワークでよく挙がる不適切な対応の一つに、利用者の方への「ちゃん、くん」という呼称やニックネームで呼ぶことの是非についてです。
 あるセミナーのグループワークで、女性の支援者の方が、「利用者の方が自分のことを『さんではなく、ちゃん付けで呼んでほしい』と言われるので、その人の意思を尊重して、ちゃん付けで呼んでいるのですが、私は不適切だとは思いません」との考えを示されました。
 確かに本人の意思決定を尊重することは、権利の主体者としての利用者の人権を守る支援の視点から正しいように思ってしまいます。
 ここで支援者に求められるのは、その利用者の生きてきた人生を想像する力だと私は思います。
 私たちの人生を振り返ってみて下さい。
 私たちは、生まれてから様々な関係の中で、様々な呼称で呼ばれてきたと思います。
 子どものときは、両親からどのように呼ばれてきたのでしょうか?
 また小学校・中学校・高校の学齢期、青年期では、友だちからどのように呼ばれてきたのでしょうか?大学では、どうだったのでしょうか?
 社会人になって会社の中で、同僚からどのように呼ばれていたのでしょうか?
 少なくとも、私たちは人生の中で、成長と共に、様々な関係の中で、様々な呼称で呼ばれてきたと思います。
 しかし、障害のある人たちは、どうであったのでしょか?
 生まれてから、「呼び捨て」や「ちゃん」、ニックネームでしか呼ばれてこなかったことが多いように、私の体験から想像するのです。
 ですから、私たちのように様々な関係の中で、様々な呼称で呼ばれてきたという経験を踏まえた上で、「ちゃんで呼んでくださいね」というのであれば、それは自己決定であると言えます。
 しかし、その利用者の方が生まれてから、「呼び捨て」や「ちゃん」、「ニックネーム」でしか呼ばれてこなかったという経験しかないのであれば、それは、「自己決定」とは言えないと思います。
 ここで支援者に求められていることは、この事例に限らず、支援関係の中で、利用者の人生や思いを想像する力とそれを支える感性を磨き上げることだと思います。
 最後に、あるエピソードを紹介したいと思います。
 以前、私が通所授産施設で働いていた時の利用者で「ながい つよしさん」がいました。
 ながいさんは、家族の方から彼が生まれてから、「つー」と呼ばれていました。
 彼が二十歳を迎える前に、彼は、家族に要求しました。
 「二十歳になったら、『つー』と呼ばないでください。『ながい』と呼んでください」と。
 これこそが自己決定です。
 しかし、家族どうしで「ファミリーネーム」で呼ぶのも少し奇妙ですが、彼の主張は、「大人になったんだから、ニックネームではなく、フルネームで呼んでください」ということだったのでしょうね。

3.最後に

 対人援助専門職として、「想像力」と「感性」の重要性についてお話してきましたが、最近、私が支援する上で大切にしたいことに気付きました。
 それは、利用者一人ひとりの「ライフイベントを創る」ということです。
 私たちには、それぞれの人生の中で、大切なライフイベントがあります。
 自身の誕生や入学、卒業、就職、結婚、子供の誕生、退職等々、様々なライフイベントが沢山あります。
 しかし、私たちに比べて、障害のある人たちのライフイベントが少ないように思います。
 利用者支援の中で、一人ひとりの人生を想像しながら、その人にとってのライフイベントをともに創造する支援を大切にしなければならないとの思いを強く持つようになりました。
 支援者の皆様! これからも「想像力」と「感性」を磨き続けるとともに、障がいのある人一人ひとりにとってのライフイベントを創造する支援をしてくださることを期待して、今回の「松上利男の一言」を閉じたいと思います。

掲載日:2016年09月01日