自閉症・発達障害のある方を支援する福祉施設を大阪・高槻で運営

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第20回

ゴミから社会を見る

 


 現在、原油価格の高騰が大きく影響して、食品価格の高騰と食糧危機が、地球全体を覆っています。
 飢餓で苦しむ人たちが増える一方で、アメリカのブッシュ大統領は、「とうもろこしを原料として、バイオエタノールを増産する」ことを宣言しています。
 また、総合食料自給率39%(カロリーベース・平成18年度)の日本では、食料自給率の向上の重要性が大きな政治的な課題となっています。
 しかしその一方で、毎日コンビニエンスストアやスーパーマーケットなどで売れ残った食品が大量に捨てられているという現実があります。
 私は、この現実の中に社会の病みを感じると共に、社会のあり方や人類としての生き方の原点を見つめなおす必要性を強く感じます。
 そして、こうした状況であるからこそ、「人類が共に支え合い、生きる」という福祉の原点、福祉思想に基づく行動と実践が、今、強く求められていると思います。
 今回は、私が京都市横大路学園で、京都市空缶再資源化条例に基づく空缶・ビンのリサイクル作業に携わっているとき、スイス東アジアミッションから原稿依頼を受けて、「JAHRESBERICHT1988」(1988年・年次報告書)に記載された「Die Gesellschaft durch Abfalle betrachten」(ゴミから社会を見る)を転載いたします。
 そして、皆さんと共に、ゴミ問題を通して、現在課題となっているエネルギー資源や食糧危機、そこから派生する国際的な格差問題などの諸問題の原点とその解決について、考えたいと思います。
 スイス東アジアミッションは、第2次世界大戦後、西日本を中心に復興支援や東アジアの国々に対する支援を行っているキリスト教会団体であり、京都市横大路学園を運営している社会福祉法人京都国際社会福祉協力会も支援を受けています。また、京都国際社会福祉協力会との人的交流も行っています。
 この原稿はドイツ語に翻訳されて出版されていましたので、日本語で皆様にご紹介するのは、今回が初めてとなります。
「ゴミから社会を見る」
  動物の中でゴミを出すのは人間だけです。そして、私たちは、ゴミから現代社会における人間の生き方を捉え返すことができます。
 高度経済成長における「大量生産」「大量消費」の経済システムの中で、私たちは、大量のゴミを出し続けています。
 大都市では、一日一人あたり1キログラムものゴミを出しています。
 このままでは、ゴミで地球が滅ぼされてしまいます。
 私たちの学園では、今までゴミとして捨てられていた空き缶、ビンのリサイクル事業をしていますが、そのゴミの中からも現代社会に生きる人々の生き方が見えてきます。
 学園に集められた空き缶に混ざって、まだまだ使用できる鍋やカメラ、ポータブルミシンなど、実に多くの物が捨てられています。
 私たちがいかに大量消費=浪費型の生活様式が「豊かさ」であると錯覚し、まだまだ使える物を多く捨てているかが、この事実の中に見出すことができます。
 私は「ゴミはそれを捨てる人の価値観によって決定される」と言う一つの定義付けができると思っています。
 例えば、カメラが故障したときに、ある人は、「もう使えないから」と、ゴミとして捨ててしまい、ある人は、それを修理して使います。
 また、空き缶や古紙をゴミとして捨てる人もいれば、資源として考える人もいます。
 食べ物の残りカスも土に返せば植物の肥料となります。
 このようにゴミは私たちの価値観によって、有効に利用もされ、ゴミとして捨てられ続けもします。
 私は、「物を大切にできないことは、命も大切にできないことである」と考えています。
 空き缶の中には、猫や鳥の死骸が混ざっていました。命を大切にせず、死んだ生き物をゴミとして簡単に捨ててしまう行為の中に、現代社会の病んだ部分を見ることができます。
 それは、自分を犠牲にして働き続ける人々の結末であるのかも分かりません。
 学園に入ってくるビンの中に、ビタミン剤入りの健康飲料のビンが多くあります。そのビンから、ビタミン剤によって栄養を補給しながら働き続ける疲れた日本人の姿が見えます。
 また、その処理が困難であり、それに含まれているフロンガスによる環境破壊が指摘されている実に多くのスプレー缶も入っています。
 私たちは、生活が便利になればなるほど、危険性もそれに正比例して増えている現実も直視しなければなりません。
 スウェーデンの経済学者リーナ・ウーシタロ女史は、「先進国のライフスタイルがこのままであり続ける限り、先進国は、やがて深刻な環境、資源エネルギー、廃棄物問題に直面し、生活様式そのもののあり方を見直さざるを得ないであろう」と警告しています。
 「大量消費」=「浪費型の生活様式」の最たるものは戦争であると、私は考えています。
 空き缶再資源化作業を通して、「私たちは、生活の中で命と物を大切にし、ゴミや戦争で地球を滅ぼすことなく、美しい地球を私たちに続く次代の人々に残していく努力を、今、始めなければならない」と、私たちは思っています。
 また、「その実現を地球レベルで開始しなければ」と、痛感しています。
 横大路学園での実践が、小さな小さなその一歩であると私たちは自負しています。
(スイス東アジアミッション「JAHRESBERICHT 1988」より

掲載日:2008年06月05日