自閉症・発達障害のある方を支援する福祉施設を大阪・高槻で運営

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第18回

「障害は個性」について考える

 


 今回は、私たちがよく耳にする「障害は個性」について考えてみたいと思いますが、「個性」を考える前に、私たちが障害のある人たちを支援する上で大切にしている「障害の特性」について少しお話をする中で、その「特性」と「個性」の違いについて、考えてみたいと思います。
 現在、私たち法人は、自閉症・発達障害に特化した幼児・学齢期から青年・成人期にわたるそれぞれのライフステージに必要とされる支援サービスの創造と支援サービスの提供を、組織方針の大きな柱の一つとして取り組んでいます。
 そして、私たち支援者の支援の基本は、先ず自閉症という「障害の特性」を理解することから始まります。
 「特性」とは、「そのものだけが有する、他と異なった特別の性質」ということですから、「自閉症の障害特性」ということは、「自閉症の人たちに共通する他の人たちとは異なった特別の性質」ということになります。
 例えば「障害特性」を理解した支援について、視力障害のある人たちについて考えてみたいと思います。
 私たちが視力障害の人たちを支援する場合、先ず「見ることの困難性」という障害特性を理解して、一人ひとりの障害の状況を把握した上で、必要とされる支援、例えば「眼鏡」、「点字」などの個別的支援や環境的支援としての「点字ブロック」や「音声付の信号機」の設置などの支援を行い、視力障害のある人たちの生活をより豊かにしていくことが基本的な支援として考えられます。
 自閉症の人たちについても支援の基本は同じです。
皆さんもご存知なように、自閉症の人たちは、「対人関係(社会性)」、「コミュニケーション」、「想像力」に困難性があるという障害特性があります。また同時に、「視覚的な理解」、「機械的暗記」、「粘り強さ」、「正確さ・丁寧さ」などという強み、長所もあります。
 私たちは、この障害特性を理解して、一人ひとりの障害の状況を把握した上で、「意味理解の困難性」に対しては、「視覚的な理解」という強みを活用して、環境の意味が理解しやすいような支援をします。
 例えば、「想像力」の困難性から「先が読みにくい」、「見通しが持ちにくい」という障害特性に対しては、それぞれの人の理解に合わせて、文字や写真、絵などでスケジュールカードを提示してあげることで、生活の中で、見通しを持って、安心して生活できるようになります。
 自閉症の人たちの世界を私たちが理解する方法として、海外旅行をしたときの体験を思い起こしてみると良いと思います。
 言葉の意味が分からない、交通手段の利用やレストランでの注文、買い物など、まったく分からない混乱した状況の中で、私たちは、何を手がかりにするでしょうか?
 例えば、駅や町の中にある「コインロッカー」、「トイレ」、「インフォメーション」などの多くの標識やサインを手がかりにします。また、ガイドブックの「地球の歩き方」を手がかりにして、様々な情報を得て、行動します。ツアー旅行ではスケジュールを手がかりに行動します。
 自閉症の人たちに対する支援も私たちが海外旅行をしていて、安心して旅行ができる支援と同じなわけです。
 「仕事の手順書」や「スケジュールカード」の文字や写真、絵による視覚的な情報の提示、「コミュニケーションカード」などの利用は、環境の意味を理解して、安心して生活できる 大切な支援であり、視力障害のある人たちが町を歩くときに必要な「白杖」と同じ意味があります。
 このようにお話をすると、「障害の特性」を理解することの重要性がお分かりになると思います。
 さて、「障害は個性」という考え方は、障害のある方の理解と支援に繋がるのでしょか?
「個性」とは、「個人に具わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格、性質」、「個物または固体に特有な特徴あるいは性格」ということです。
 私たちが一般的に「個性」というときは、その人、個人にしかない人格、人間的魅力をさしていることが多いと思います。
 私は、どうしてもそのような「個性」という言葉の受けとめから、「障害は個性」というと、「障害はその人個人の問題」というような理解に繋がっていくのではないかという危惧を抱いてしまいます。
 「障害」は「環境のあり方」によって大きく変化するものですから、「障害」を「個性」という個人の問題にすり替えてしまうと、「障害」と「環境」、「社会」との関連性を切り離してしまうような感じが強くします。
 少し具体的にお話しますと、「障害」は「生きにくさ、生活しづらさ」であると、私は、理解しています。ですから私たちも手の届かない高い棚にある物をとるには、困難が生じます。これが「障害」です。
 しかし、梯子や踏み台があれば楽に物を取ることができます。この「梯子」や「踏み台」が「環境」です。
 肢体に障害のある人が車椅子を利用することで楽に移動できます。街の中が、段差のないバリアフリーな環境であればある程、楽に暮らすことができます。即ち障害に配慮された環境があれば、「障害」が軽減されることになります。
 このように「障害」は、その「環境」のあり方によって、大きく「障害のあり方」が変化します。「障害は個性」と言い切ることで、「環境」との関連性を断ち切ってしまわないかという 危惧は、以上のような考えによるものです。
 また「特性」と関連して考えてみたいと思います。
 視力障害、肢体不自由、自閉症など様々な障害には、先ほどもお話したように、それぞれの障害に伴う共通した「特性」があります。
 この「障害の特性」を理解することによって、様々な障害のある人たちに対する適切な支援が可能となります。
 視力に障害のある方に対して、「白杖を使わないで歩きなさい」と私たちは決して言わないと思います。それは視力障害の「特性」を理解しているからです。
 「個性」は個々人の属性という考えになりますので、障害の理解と適切な支援に繋がり難いという問題を有していると思うのです。もう少し端的に言えば、「障害は個性」というと、障害をあいまいにしてしまうことになると言えます。
 私は、この「障害は個性」という考えに対して、痛烈な批判のコメントをした山田富也さんの言葉を今でも思い出します。
 彼との出会いは、当時大学生であった私が、進行性筋ジストロフィーの人たちの支援やボランテア活動をしている中で、宮城県仙台市にある進行性筋ジストロフィーの人たちの療養施設「国立西多賀療養所」を訪れたときのことでした。
 そのとき彼は、進行性筋ジストロフィーの患者として、療養所に入院されていました。
 進行性筋ジストロフィーとは、「骨格筋の変性・壊死が主な病変としてあり、筋力の低下が進行する遺伝性の疾患」です。特に進行性筋ジストロフィーの中で最も患者数の多い「デュシェンヌ型」は、7歳から11歳には歩行ができなくなり、筋脱力と筋萎縮が助間筋などの呼吸筋にもおよぶため、呼吸が障害され、20歳から25歳頃に呼吸不全で亡くなることが多い重篤な病気です。
 療養所の子どもたちは、療養中の友達が次々と亡くなっていく状況と向き合いながら、様々な葛藤の中で、生と死を意識し、そのことを考えながら生きていかなければならないという厳しい現実の中で暮らしていました。
 現在、山田富也さんは、1986年に社会福祉法人「ありのまま舎」を開設し、自立ホーム「仙台ありのまま舎」を開設するなど、進行性筋ジストロフィーの人たちの地域生活支援や様々な啓発活動を行っておられます。
 そんな山田富也さんが京都に来られ、宿泊先のホテルを私が訪れたとき、彼が「障害は個性」という考えに対して、このように話しました。
 「障害が個性だとしたら、私たち筋ジストロフィーの患者は、『死にゆくことが個性』ということになりますね」と。
 今回は、「障害は個性」という考え方について、山田富也さんの言葉を最後に終わりにしたいと思います。
 是非、山田富也さんの言葉を受けて、皆様の「障害は個性」という考えについてのご意見をお聞きしたいと願っています。
 多くの皆様のご意見をお待ちしています。

掲載日:2008年05月09日