自閉症・発達障害のある方を支援する福祉施設を大阪・高槻で運営

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第10回

利用者中心の支援 ~スイスでの研修を振り返って~

 


 私が31歳、「京都市のぞみ学園」で勤務していた時に、「京都市施設職員国際交流事業」を通して、スイスの「ストレンゲルバッハ障害者労働センター(AZB)」での3ヶ月間の研修の機会に恵まれました。
 「AZB」はチューリッヒと首都のベルンのちょうど中間点に位置したツォフィンゲンという古い小さな町の郊外にありました。入所型の施設で知的・精神・身体に障害のある人たちの就労支援と生活支援が「AZB」の主な機能としてありました。
 皆さんもご存じのように、スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語を共通言語としていますが、「AZB」はドイツ語圏の地域にあることから、私は、研修開始一年前からドイツ語の勉強をしていましたが、当然のこととしてコミュニケーションについては随分苦労をしました。外国での暮らしを通して、私自身、コミュニケーションの障害を体験することになり、そこからコミュニケーションに困難性のある利用者の大変さについて、身をもって体験する機会を得るなど、日本では経験できない様々な異文化経験や自分自身に対する気付きを得る貴重な機会となりました。
 今回は様々な経験の中から「利用者中心の支援」について、私が「AZB」で出会った三つのエピソードを通して、皆さんと一緒に考えたいと思います。
 施設での日常生活の中で、多くの利用者は週末の金曜日の夕方から自宅に帰宅して、月曜日の朝施設に帰って来られていました。施設のドアーは24時間開放されていて、門限もなく、外泊も自由で、全ては自己責任というのが利用者支援の基本としてありました。
 一つ目のエピソードは「AZB」のある町(ストレンゲルバッハ)のフェスティバルでの出来事です。
 「AZB」は町の中心部にあり、教会、郵便局、スーパーマーケット、コミュニティーセンター、小学校などが隣接して在りました。フェスティバルはコミュニティーセンターを中心に行われ、夜にコンサートやダンスパーティーがあるとのことで、私も利用者・職員とともに参加しました。会場には舞台が設置されていて、舞台の最前列に「AZB」の人たちの席が確保されていました。会場はテーブル席になっていて、ソーセージやチーズなどの軽食、ビールやワインなどの飲み物が準備されていました。
 「AZB」の利用者もビールやワインを楽しみながら音楽を聴き、時には舞台上のダンスに参加しながら、町の人たちとの楽しい一時を過ごしていました。職員の介助が必要な車椅子を利用している障害の重い人たちも参加していました。夜の10時ごろには利用者の方たちは自主的に施設に帰り始めました。職員は車椅子を利用している利用者一人一人に丁寧に、「施設に帰りますか?まだここにいますか?」と本人の意思を確認され、残りたいとの意思を伝えた利用者に、「私は一度施設に帰りますが、また1時間後に来ますから」と伝え、本人たちを会場に残して、施設に戻られました。このような職員と利用者とのやり取りが1時間毎に繰り返されましたが、最終的にフェスティバルが終わる深夜の1時か2時ごろまで車椅子の利用者の方は参加され、職員の介助で施設に帰りました。
 当時、日本の福祉施設における支援においては、私の知る限り、ここまで徹底した「本人中心の支援」はなされていない現状がありました。私にとっては、このような「AZB」における利用者支援のあり方、すなわち徹底した「本人中心の支援」に出会い、私の対人援助の基本的な視点に大きな影響を与えたエピソードの一つとしてあります。
 二つ目のエピソードはランチタイムでの出来事です。
 ランチタイムが始まる直前に、一人の利用者と一人の職員との口論が始まりました。私自身、ドイツ語も十分でない上に、スイスのドイツ語は日本での方言以上の違いがあり、「スイスドイツ語」で話されるとさっぱり理解できないという状況でしたから、その原因も口論のやり取りも理解できず、ただ二人の口論を茫然と見ているだけでした。しかし他の職員や利用者も二人の口論を見ているだけで、誰も仲裁に入る気配さえありません。そのうち利用者の方が「食事はいらない。あなたとは食べたくない。外で食べるから」と職員に言い放ち、椅子を力いっぱいテーブルに押し入れて食堂から出ていきました。相手の職員は利用者を追いかけたりせずに、その後平然と食事を始めました。他の職員、利用者も何事もなかったように食事を始めました。
 このエピソードも日本の支援と比較して、大変考えさせられた出来事でした。
 その時、私自身の勝手な想像ですが、日本でこのような状況が施設内で起こった場合、少なくとも他の職員はすぐに仲裁に入るのが普通の対応だと思いました。そして最悪のパターンは、善悪の判断を自分自身の価値に基づいて行い、なんとかその場を収めようとするのではないかと、その時思いました。また飛び出していく利用者を引きとめて、「あなたが間違っていなくても、そんなわがままなことをしたらだめです」みたいなことを言うのでは、とも思いました。
 しかしこの出来事を通して、私自身に二つの気付きがありました。一つは、「利用者に対する絶対的信頼」です。それは、「自らの問題は自らが解決する」という「利用者中心主義」の基本的な視点の一つであるという気付きです。もう一つは、「この問題は職員、利用者という関係を超えた二人の問題である」という視点です。すなわち一人の利用者としてではなく、一人の人格のある人間として見る視点です。この視点も「利用者中心主義」の支援にとって大切な視点だとの気付きがありました。
 三つ目のエピソードは、二つ目と同じ内容の出来事です。
 作業中に二人の利用者の口論が始まりました。口論がだんだん激しくなってきたのですが、職員は黙って見ているだけです。たまりかねた私が、「仲裁に入らないのですか?」と職員に聞くと、職員はにこやかに、「二人の問題だからね。二人が格闘を始めたら仲に入るけどね」と答えました。
 日本の場合でしたら、すぐに職員が介入するケースだと思ったのですが、基本はやはり「二人の問題」であり、「二人で解決する問題」であるとの視点です。そして彼らは支援を求めてはいないのですから、支援の必要はないという視点です。
 現在、日本においては、「利用者中心主義」、「パーソン センタード プラン(Person Centered Plan)」の重要性が語られ、実践への模索が始まっています。私は、このスイスにおける三つのエピソードを思い起こしながら、そこで得た私自身の様々な利用者支援における気付きを下敷きにして、「利用者中心主義」の支援について、学び続けたいと思っています。そして、「とことん利用者中心の支援」とは何か?そのあるべき支援実践とはどのようなものか?そのことについて皆さんと大いに日常の利用者支援を通して、議論したいと願っています。

掲載日:2008年01月17日